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エッセイ

正員 三好章夫

先日,TV でペリー来航 150 年を記念して江戸時代のモノづくりに関する特集番組「痛快!江戸テクノ」〜知られざる幕末の科学者達〜 が放映されていたが,ご覧になった方もおられると思う。科学技術立国・日本の原点は江戸時代のモノづくりにあり,これを支えたのは,幕末の動乱期に世界最先端の科学技術を実践しようと苦闘する蘭学や洋学の識者層とその薫陶を得た若者たち,そして職人からなるすそ野の広い技術集団であったというのだ。いわゆる“蘭癖(らんぺき)大名”の雄,佐賀・鍋島直正,薩摩・島津斉彬,水戸・徳川斉昭らの強烈な個性によって培われた幕末期における工業技術力が,明治維新を経て我が国の近代化の道を拓いたのである。

6 月始め,伊豆の戸田(へだ)村立造船郷土資料博物館を訪れた。ここには,日本で初めて建造された近代的な西洋型帆船「ヘダ号」にまつわる品々が,丁寧な解説をそえ展示されている。ペリーが浦賀に来航した翌年の 1854 年,露国・プチャーチンも開港を求め下田にやってきたのだが,不運にも安政の大地震に遭遇し乗艦「ディアナ号」は大破してしまう。修理のため西伊豆の良港戸田へ回航することになったが,今度は嵐に逢い沼津沖であえなく沈没。露人帰国のための代船建造が伊豆代官・江川太郎左衛門に幕命として下り,近隣の船大工たちは露国海軍士官の指導のもと,和船とは異なる竜骨と肋骨構造の「ヘダ号」の建造に取り組んだ。その後,このプロジェクトに携わった船大工は,開設まもない長崎海軍伝習所へ派遣され,さらにオランダへの留学を果たし,明治の造船業勃興期に造船技術者として活躍した。

これら先達のひたむきなモノづくりへのこだわりが,技術立国・日本の源流にあることを忘れてはならない。日本人はこれまで“匠の技”をこよなく敬愛してきた。今一度,職人気質,プロフェショナルが尊敬・評価される風土を呼び起こし,科学技術立国としての地歩を確かなものとしていきたいものである。

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